お知らせ

2015.10.13

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魚健ブログ 若旦那劇場  第2話

ここで私の子供の頃の家族構成をご紹介します。
お爺さん、親父、おかん、兄貴、私、弟、親父の姉夫婦といわゆる「大家族」で、私たち兄弟は
愛情いっぱいで学生時代を過ごしていくのですが、この学生時代に、今日までの私の人生を振り返る上で
欠かせない出来事がいくつかあります。それをエピソードをまじえながらご紹介します。
まずは小学生時代ですが、私たち兄弟はよく大阪の叔母さん宅に遊びに伺っていたのですが、そこで何回か
連れて行ってもらったお寿司屋さんの味が忘れられず、料理に興味をもち、「板前さん」になって自分の作る
料理をたくさんの人に食べてもらいたいと思うようになります。この思いは中学校になってからも変わらず、
中学卒業を前にして、卒業後は板前になるために働きたいと申し出るのですが、親父には高校卒業後にするよう
説得され、ひとまず高校に入学します。
そして高校入学してまもなく、サッカー部に入部(中学までは野球部でした)し、青春を謳歌しようと思った矢先、
親父が心臓発作で倒れてしまい、約1カ月半ほど入院することになります。
家業は東京のスーパーや関西の百貨店等との取引もはじまり成長期に入ったところで、運が良いのか悪いのか私達も夏休みに
入ったところで、部活を休み仕事三昧の日々が始まります。この親父が倒れてしまったことで板前志望から魚屋の道へと進んで
行くことになります。
ちょっと余談ですが、中学時代におもしろい出来事があるんです。
兄貴が中学生になったバレンタインデーの日にたくさんのチョコレートをもらって帰るのですが、
それを見た私は、「自分も中学生になればもらえるんだな~」と期待に胸をふくらませたのですが、無残にも散ってしまいます。
この時から、兄貴に対する「憧れとライバル心」、そして私の「モテタイ願望」が始まったのでしょう。
なにわともあれ学生時代から25年、今も板前の夢は心の片隅に・・・

2015.10.10

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魚健ブログ 若旦那日記

本日は「つのしま夕やけマラソン」に、娘の通う小学校の学年行事として
ペアの部4.2kmに参加しました。去年から2年連続の出場ですが、今年は
仕事の忙しさもありなかなか練習が出来ないままの出場だったので、走れるかどうか心配しておりました。
さすがに1年年老いた体は嘘をつきません。去年よりも体が重くなかなか苦戦しました。
3kmをすぎたあたりから両膝が痛くなりくじけそうになりましたが、さすがにそこからが観客の多いところなので
私の性格上ハッスルしない訳にはいきません。なんとかゴールできました。今年で娘も小学校卒業なので、ペアとして参加することは
ないのかなと思うと、少し寂しいような、それでいてホットしたような気分です。DSC_0111

2015.10.08

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魚健ブログ 若旦那劇場 第1話

昭和47年6月9日、和歌山県みなべ町の山田家、父 喜昭・母 和美の次男として生まれる。
実家は老舗の魚屋(現在兄が経営・4代目)、と言っても大きな会社ではありませんが、私のひいお爺さんの頃から
魚を入れた籠を担いで遠くまで行商に出向いたと聞いております。それから100年余り、行商から水産加工会社へと変わっていきました。
ひいお爺さんからお爺さんへ、お爺さんから親父へと受け継がれる中で、色々な苦労があったこととは思いますが、
私が小学生の頃親からよく聞いたのは、お爺さんが若い時に病気で長い間入院をしいられ「大黒柱不在」の時になんとか商売を続ける為、親父の兄弟(女7人、男1人)と長女の旦那さんで
やりくりした話を今でも思い出します。    こんな話を聞きながら育っていくのですが、今日はこれくらいで、また次回に!!                                                          
                                                                                                                                                                                                                      

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