お知らせ

2015.11.25

ブログ

魚健ブログ  若旦那劇場 第8話

「より自然に、より優しく」。そう望んで機械植込みを拒否し、これで良かった、自分は起こらない、
起らない生き方をしようと決心したはずが、日が経つにつれ「ひょっとしたら・・・、もしかして・・・」
そんな思いが頭をよぎり、子供たちの可愛い顔を見ていると死にたくないという思いが強くなっていきました。
そして「若くして死ぬより、機械を入れてでも長く生きたい」と思うようになり、今度は機械を入れる決心をするのです。
行動力には定評のある若旦那、そう思うとすぐに検査を受ける段取りを始めたのです。
そして一番気になっていた「問題の検査」で「最悪の事態」も考えなくはなかったのですが、なぜか機械を入れる方へと
転げ落ちていきました。そんな私を心配して色々と話をしてくれたり、説得しようとしてくれる人もいましたが、
もうこの時は誰の言葉も耳に入らなくなっていました。そして、いざ病院へと電車に乗り込んだのです。

病院到着後、簡単な検査と担当の医師の説明を受け入院生活に入るのですが、初めての入院という事、そして覚悟したとはいえ
心の片隅にある不安でなかなか落ち着く事ができませんでした。そこで私は退屈しのぎにと持参してあった1冊の本を読むことにしました。
めったに本など読まない若旦那でしたが、その頃興味のあった「人としてどう生きて、どんな使命をもって生かされ、そして・・・」
といった内容の本で、私は引き込まれるように読み続けました。
そしてそれを読み終えたのが「問題の検査」が明日に迫った2日目の夜の事でした。
「この本を読むのは今しかない」というタイミングで・・・
我に返った私は今まさに自分が行おうとしている事がとてつもなく恐ろしい事のように思え、すぐに担当の医師に検査のキャンセルを申し出ました。
さすがに医師もまさかのドタキャンに困惑し怒りさえ覚えた様子でしたが、「人の持つ、科学や医学では計る事のできない可能性」に再び目覚めた私は
なかば喧嘩別れをするように翌日病院を後にしたのでありました。
親父の2度目の発作で「病気」が発覚して以来、大きな荒波が打ち寄せた私の心はこの日を境にいつもの静けさを取り戻していったのです。
そしてその後、時折襲う「胸にポケットがあったらポケットを開けて心臓をマッサージしたくなるような」ヘンテコな感覚に危険信号を察知し、
あるキッカケでまた飲み始めるまでの約2年間、あれだけ好きだった「お酒」も封印するのです。

2015.11.18

ブログ

魚健ブログ  若旦那劇場 第7話

体内植込み型除細動器を入れるか否か、一晩中考えた。考えれば考える程分からなくなる。
何が良くて何が悪いのか。医師が言うように40歳以降に発作が起こるかもしれない、
発作が起これば親父のように助かるとは限らない。確かに1回目の親父のそれは、よく生き返ったと思うほど
長い時間心臓が止まっていたようだから・・・
しかし自分はまだ発作も起こっていない、起こってない以上病気でもない、起こるかどうかも分からない。
頭の中がグチャグチャになった。ただはっきりと言えたのは「まだ死にたくない、死ぬ訳にはいかない」これだけだ。
しばらくの間、私達夫婦は口を開けばこの話だった。暗くて重い空気が流れた。妻はこの時以来、白髪が一気に増えたと嘆く。
しかしこんな事で悩んでばかりもいられなかった。
私は結婚後第2の人生をスタートして以来、食を通して人の在り方や生き方に興味をもち今までの自分とは違う
「より自然に、より優しく」を好んだ。そしてこれからもそう望んだ。
この選択に「YES」の答えを出し「機械」を体内に入れることは、これを否定するように思えた。
そして何よりこの「機械」を入れるための検査の一つに心室細動を誘発するテストがあった。私は医師に尋ねた、
「そのテストで心臓は止まらないのですか、死なないのですか?」。かえってきた答えは「日本で3人の方が亡くなった」と・・
もちろん検査で死ぬのは稀であろうがそれは悔やんでも悔やみきれない。私はこの選択に「NO」という答えを出した。
私が出した答えには賛否両論あった。もちろん私を心配してくれての事ではあったが・・
特別な心電図であっても皆が起こるとは限らない、起こらない生き方をしようと思った、起こらないと自分に言い聞かせた。
そして徐々に徐々に普通の生活に戻っていった。戻っていきたかった。しかし「機械」を入れる手術をし退院した親父が
「もう大丈夫」と笑う姿に、私の心がまたしても揺れ動いていく。そしてまさかの・・・

2015.11.11

ブログ

魚健ブログ  若旦那劇場 第6話

それは若旦那31歳の冬の夜、夕食をすませ家族でゆっくりと過ごしていると
実家から「親父がまた発作で倒れた」と連絡が入り、すぐに病院へ向かった。
なんとか一命は取り留めたが入院して検査が必要なようだ。そして控室で待っていた私達兄弟に
「息子さん達もちょっと検査をして貰えませんか?」と言う医師の言葉。
私はその時妙な胸騒ぎがしたのを今でもはっきりと覚えている。私達は医師に言われるがまま検査を受けた。
検査後医師から親父の病名について説明があった。病名は「ブルガタ症候群」。耳にした事のない病名であった。
それもそのはず当時医学界でも研究中の病気という事で私達が知るはずもなかった。
私の覚えている範囲ではその特徴として「特異な心電図」を持つという。そして原因は未だ不明だが激しい
心室細動がおこり失神、心停止するという。それもほとんどが男性だとか・・・
そして次の医師の一言に先ほどの妙な胸騒ぎが的中した事を確信する。
「次男さんはお父さんと同じブルガタ症候群の特異な心電図をお持ちです、今まで失神されたりした事はないですか」と。
私は頭の中が真っ白になった。そして次の瞬間あることが頭をよぎった。
それは20代の頃何度か経験した事なのだが・・・
「仕事をしていると何とも言えない匂いが鼻をつき耳鳴りがはじまる。そして自分の意識が体から離れていきそうになる。
それを必死で戻そうとする自分」このことが何か関係があるのではなかろうかと。
ともかく医師に告げられた言葉が31歳の男の心に突き刺さる。しかしその一方でそれが分かっていたかのような自分がいる妙な気持でもあった。
家に帰った私は妻にその事を話す。そしてその後医師から聞いた唯一の予防法としての「体内植込み型除細動器」の植え込みの選択を一晩中話し合うのである・・・

FAX、メールご注文の際は、
お名前、住所、電話番号、商品名、個数をご明記ください。
FAXのご注文の場合は、
折り返しお電話確認をさせて頂きます。詳しくは、ショッピングガイドを御覧ください。