
2015.12.06
ブログ
魚健ブログ 若旦那劇場 第9話
さてさて、嵐のように若旦那を襲った「ブルガタ騒動」も「心臓にヘンテコな違和感」という爪痕は
残したものの、とりあえずは一件落着といったところで普通の生活に戻っていきます。
若旦那が板前の夢を心の片隅にしまいこみ「加工屋」で生きていこうと決めてから15年、確実に力強く一歩一歩階段を上り
この頃には、小さな町の小さな魚屋だった家業も私達家族を含め従業員は25人程の会社になっていました。
そして若旦那もまた「工場長」となっていたのであります。
「工場長」と言ってもらえる程のものではなかったですが、「子供からお年寄りまで安心して食べて貰える旨い干物を作りたい」という想いは
人一倍強く(自称)、社長や専務との意見の対立もしばしば。もちろん社長や専務も旨い干物を作りたいという思いは皆同じであったので
日々研究は怠らず、まず第一に旨いものを作るには良い材料が必要で、特に原料になる魚の仕入れには力を入れていました。
そんなある日、その事を知ってか知らずかは分かりませんが、「山口県の魚は美味しいよ」という情報が知り合いの方を通して私の耳に飛び込んできます。
国語とEnglishは得意だった若旦那ですが地理には疎かった。「山口県??」すかさず日本地図を開く。それは本州最西端に位置していた。
「お~、ここが山口県か」感心しているのも束の間、下関・長門といった文字が目に飛び込んでくる。
下関は魚の水揚げが多いという記憶がうっすらと浮かんだ。長門、そういえば年末の販売に仕入れた「田作り」の入った段ボールに「長門」という文字があったのを思い出す。
しかし「ながと」とは読めなかった。若旦那、得意と思っていた国語もたいした事はなかったようだ・・・
若旦那にとってそこは未知の世界だった。「どんな魚があるんだろう」「どんな所だろう」。そしてすぐに行ってみたくなった。
早速、社長や専務にも伝えた。しかし意外に反応は薄かった。ましてや視察に行こうなどという感じではなかった。
そもそも他県の魚の仕入れは地元の大きな水産会社にお願いして、自ら現地に向かうことはほとんど無いのが現状でした。
もちろん経費もかかるので当然のことではありましたが・・・
人は「行けない」と思えば思うほど「行きたい」と思うもの。若旦那とて例外ではありません。
そこで若旦那、なにやら秘かに計画を立て始めましたよ・・
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