お知らせ

2016.01.22

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若旦那日記 本日は講師です

平成28年1月20日
本日は下関市立阿川小学校に行ってきました。
今週は学校給食週間いう事で、いつも納品させてもらっている
「あじフライ」や「お魚メンチカツ」等、弊社の商品についてのお話の依頼がありましたので
私達が日ごろどんな思いで品物をつくり、おいしく召し上がって頂くためにどんな工夫をしているのかを
話しました。子供たちにうまく伝わったでしょうかね1453282516480

2016.01.17

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若旦那劇場 第14話

とうとう社長である親父に「独立」の想いを告げてしまった若旦那であったが、
だからと言ってすぐに「独立への道」が開かれた訳ではなく、まずは第一歩を踏み出したにすぎず、
また、想いを告げられた親父としても「わがまま息子の一過性の想い」にすぎないと思っていた事であろう。
しかしこの一歩を踏み出すことで、事は大きく動き出すこともあるのが人生のおもしろいところかもしれない。
それが人生の中の「動」の時期に入っていたのなら、なおさらなのかも分からない・・・
若旦那は小さい頃よく「未来の自分」を想像することがあった。しかしいつも20代で終わってしまうのだ。
何回想像しても30代が想像できなかった。
そして実際にその30代を迎え、まず出迎えたのが「ブルガタ騒動」。なかなか波乱に満ちた30代の幕開けだった。
そういう意味では若旦那自身「動」の時期にあったのかもしれない。
社長である親父に「独立」の想いを伝えてどれくらいたった日の事だろうか、
私に「山口県旨い魚情報」を下さった知人から連絡が入った。この方とは10数年来のお付き合いであったが
私達が結婚して第2の人生をスタートさせる上で色々とお世話になり、また魚健の根底にある自然食の良さを教えてくれた方でもあった。
その日の電話に私の相棒が出たのだが、何やらいつになく驚いた様子で話をしていた。
そして電話を切った後、相棒から聞いた一言に私は耳を疑った。
それは「第1回旨い魚視察旅行」でも立ち寄らせて頂いたその知人の家を買いませんか?と言う話だった。
聞けばこの「豊北御殿」、実は別荘としてお持ちで余生をここで送られる計画だったとの事。しかし仕事の都合で無理になり
2年程前から売りに出していたのだが、どうやら家を見たいという人が現れたらしい。そして近々見に来られると。
しかし私達が一度訪れ、豊北町が気に入り、魚を求めて「2度目のツアー」に来たことも知り、
「もし仕事で使うのなら全く知らない人よりあなた達の方が」と言ってくれているというのだ。
さすがの若旦那もこれには動揺した。
家を買う・・・今現在、家はある・・
しかも遠く離れた縁もゆかりもない山口県の地に・・
こんな事がありえようか・・・
しかし同時にある思いが脳裏をよぎった。「ここなら出来るかも・・・」
独立したいと思ったものの同じ和歌山での独立は困難を極めていた。しかしこの山口県なら・・・
「旨い魚」があるのはあの「地魚の刺身定食」で分かっていた。
若旦那の心は揺れた、今まで味わったことのない心のざわめきに・・・
しかし気がつけばそこは新幹線の中だった。
そう、あの「豊北御殿」の売買契約のために三たび山口県に向かったのでありました。

2016.01.11

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魚健ブログ 若旦那劇場 第13話

ようやく念願の地魚を口にする事ができ、その旨さにあらためて「山口県北浦」の魚を加工したい
という思いに満ち溢れて帰宅した若旦那だが、この頃若旦那の心の中には、「山口県旨い魚情報」と
並行するようにある一つの思いがあった。それは山田家の歴史からすれば考えられない事だったかもしれない。
高校卒業と同時に水産加工の世界にとびこみ、親父や伯父さんの指導のもと兄貴と共に加工に
打ち込み、それなりの技術を身につけることが出来た。そして弟もまた、大阪の百貨店内に出店した
自前の店で販売の仕事に就き、文字通り「家族一丸」となってやってきた。
若旦那自身も10数年加工に携わり工場長となり何の不自由もない生活を送っていた。しかし何か忘れているような、
何かしなくてはならないような・・
そして本来の自分の夢である板前としてお客様に自分の作った物を食べてもらいたい、いやこの頃は板前としてではなく、
「何か自分自身が思い通りに作れる、自分の想いが100%反映される、そんな物作りがしたい」
そう思うようになっていた。そう「独立」である。その想いは日に日に増していった。
しかし「独立」と言っても自分が出来ることは魚の加工だけで、あとは趣味である野菜作りかパンを焼くことだった。
若旦那は想い描いた。「有機野菜を作り、天然酵母のパンを焼いてそして自然食品を並べるお店を開こう」。
しかし近くにはいつもお世話になる自然食品店があった。また若旦那の作った虫食いだらけの野菜や素人が焼いた
パンなど誰が買ってくれようか、ましてや生計を立てるなど・・・現実的ではなかった。
「自身が10数年やってきた水産加工で独立をするか?しかし何処で?」家業と同じような商売を地元ですることは
色んな意味で不可能に近かった。いったいどうすれば良いのか・・・
日に日に想いは強くなると同時に「モヤモヤ」も増していった。
しかし何か一歩踏み出さないと、事は前に進まない。若旦那は自分の想いを社長である親父にだけ告げることにした。
「近い将来独立がしたい」と・・・
返ってきた答えは「NO」だった。「せめて兄貴の息子が一人前になるまで待ってやってくれ」と。
最短でもあと10年・・・若旦那はこの社長の答えに心の中で「NO」と言ったのである。

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