
2015.12.13
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魚健ブログ 若旦那劇場 第10話
若旦那の前に突如として現れた「山口県」。寝ても覚めても「山口県」の文字が
頭を離れませんでした。どうしても行きたくなった。いや、行かなくてはならないと思った。
「よし、山口県へ行こう」若旦那はそう決めた。実は若旦那、大の旅行好きだった。
結婚後はめっきりご無沙汰になっていましたが、独身時代は関西各地はもとより、東は東京ディズニーランド、
飛騨高山、西は四国レオマワールド、長崎ハウステンボス等など各地に飛び回りました。
しかし今回はただの旅行ではなく「魚の視察」という課題付きでありました。若旦那にとって山口県は「未知の国」で
何処に何があって、何処へ行けば「旨い魚」に出会えるのかなど分かるはずもありません。
闇雲に動いても時間と体力を消費するだけで「目的の達成」に至らぬ事は明らかで、「山口県視察旅行」も暗礁に乗り上げようと
していました。しかし流れはきていました。山口県に想いを馳せるきっかけとなった「山口県の魚は美味しいですよ」
という情報を提供して下さった知り合いの方が、なんと山口県に別荘を持っているというではありませんか。
そしてお正月はそちらで過ごされるという事で「良かったら遊びに来ませんか?」と連絡が入ったのです。若旦那は即決しました。
その日から正月が来るまでの間、どのように過ごしたのか記憶は定かではないですが、
山口県という「突然現れた恋人」に会える嬉しさと何か人生の大きな波が打ち寄せてくるような
そんなドキドキ感でいっぱいだった事は間違いありませんでした。
そして迎えた1月2日、私達家族は誰にも行き先を告げず秘かに「山口県下関市豊北町」を目指し出発しました。
私達の住む和歌山県みなべ町から山口県豊北町までの距離はそうとうありましたが、子供達も家族5人での旅行は初めてなのと
私も「まだ見ぬ恋人」に会える嬉しさで、車内は終始ウキウキ気分のまま山口県入りしました。
私達がその日目指したのは「ホテル西長門リゾート」。そのホテルに向かうため高速を降りてから国道を走って行ったのですが、
その国道からは一面に日本海が広がっていました。その眼下に広がる日本海に私は目を疑いました。
私のイメージしていた「冬の日本海」は暗く、厳しく、荒れる海。しかし私がその日見た海は
打ち寄せる波の音すら聞こえない程静かで穏やかな海でした。
ホテル到着後にその事をスタッフに尋ねたところ、冬場にこれほどの凪は珍しいとの事。
若旦那は思った。「私の山口県入りを神様も歓迎してくれているのだ」
やはりそうとうな勘違い男である。
思ってもみない「大自然の歓迎」と「旨い魚」の視察に来たにも関わらず、その夜のディナーに和食ではなく洋食を選び
フランス料理のコースを堪能して気分上々でその日を終えたのでありました。
翌日は知り合いの方の別荘に招かれ、訪問するのですが、別荘から見た周辺の景色に色々な意味で心をうたれ
「こんな所で住めたらいいな~」と思ったことを今でも覚えています。
そしてこの度の1泊2日の旅は若旦那の心とお腹を満たす素晴らしい旅になりました。しかし肝心の「旨い魚の視察」
について何の収穫もなかった事に気付いたのは和歌山到着後の事でした。

2015.12.06
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魚健ブログ 若旦那劇場 第9話
さてさて、嵐のように若旦那を襲った「ブルガタ騒動」も「心臓にヘンテコな違和感」という爪痕は
残したものの、とりあえずは一件落着といったところで普通の生活に戻っていきます。
若旦那が板前の夢を心の片隅にしまいこみ「加工屋」で生きていこうと決めてから15年、確実に力強く一歩一歩階段を上り
この頃には、小さな町の小さな魚屋だった家業も私達家族を含め従業員は25人程の会社になっていました。
そして若旦那もまた「工場長」となっていたのであります。
「工場長」と言ってもらえる程のものではなかったですが、「子供からお年寄りまで安心して食べて貰える旨い干物を作りたい」という想いは
人一倍強く(自称)、社長や専務との意見の対立もしばしば。もちろん社長や専務も旨い干物を作りたいという思いは皆同じであったので
日々研究は怠らず、まず第一に旨いものを作るには良い材料が必要で、特に原料になる魚の仕入れには力を入れていました。
そんなある日、その事を知ってか知らずかは分かりませんが、「山口県の魚は美味しいよ」という情報が知り合いの方を通して私の耳に飛び込んできます。
国語とEnglishは得意だった若旦那ですが地理には疎かった。「山口県??」すかさず日本地図を開く。それは本州最西端に位置していた。
「お~、ここが山口県か」感心しているのも束の間、下関・長門といった文字が目に飛び込んでくる。
下関は魚の水揚げが多いという記憶がうっすらと浮かんだ。長門、そういえば年末の販売に仕入れた「田作り」の入った段ボールに「長門」という文字があったのを思い出す。
しかし「ながと」とは読めなかった。若旦那、得意と思っていた国語もたいした事はなかったようだ・・・
若旦那にとってそこは未知の世界だった。「どんな魚があるんだろう」「どんな所だろう」。そしてすぐに行ってみたくなった。
早速、社長や専務にも伝えた。しかし意外に反応は薄かった。ましてや視察に行こうなどという感じではなかった。
そもそも他県の魚の仕入れは地元の大きな水産会社にお願いして、自ら現地に向かうことはほとんど無いのが現状でした。
もちろん経費もかかるので当然のことではありましたが・・・
人は「行けない」と思えば思うほど「行きたい」と思うもの。若旦那とて例外ではありません。
そこで若旦那、なにやら秘かに計画を立て始めましたよ・・

2015.11.25
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魚健ブログ 若旦那劇場 第8話
「より自然に、より優しく」。そう望んで機械植込みを拒否し、これで良かった、自分は起こらない、
起らない生き方をしようと決心したはずが、日が経つにつれ「ひょっとしたら・・・、もしかして・・・」
そんな思いが頭をよぎり、子供たちの可愛い顔を見ていると死にたくないという思いが強くなっていきました。
そして「若くして死ぬより、機械を入れてでも長く生きたい」と思うようになり、今度は機械を入れる決心をするのです。
行動力には定評のある若旦那、そう思うとすぐに検査を受ける段取りを始めたのです。
そして一番気になっていた「問題の検査」で「最悪の事態」も考えなくはなかったのですが、なぜか機械を入れる方へと
転げ落ちていきました。そんな私を心配して色々と話をしてくれたり、説得しようとしてくれる人もいましたが、
もうこの時は誰の言葉も耳に入らなくなっていました。そして、いざ病院へと電車に乗り込んだのです。
病院到着後、簡単な検査と担当の医師の説明を受け入院生活に入るのですが、初めての入院という事、そして覚悟したとはいえ
心の片隅にある不安でなかなか落ち着く事ができませんでした。そこで私は退屈しのぎにと持参してあった1冊の本を読むことにしました。
めったに本など読まない若旦那でしたが、その頃興味のあった「人としてどう生きて、どんな使命をもって生かされ、そして・・・」
といった内容の本で、私は引き込まれるように読み続けました。
そしてそれを読み終えたのが「問題の検査」が明日に迫った2日目の夜の事でした。
「この本を読むのは今しかない」というタイミングで・・・
我に返った私は今まさに自分が行おうとしている事がとてつもなく恐ろしい事のように思え、すぐに担当の医師に検査のキャンセルを申し出ました。
さすがに医師もまさかのドタキャンに困惑し怒りさえ覚えた様子でしたが、「人の持つ、科学や医学では計る事のできない可能性」に再び目覚めた私は
なかば喧嘩別れをするように翌日病院を後にしたのでありました。
親父の2度目の発作で「病気」が発覚して以来、大きな荒波が打ち寄せた私の心はこの日を境にいつもの静けさを取り戻していったのです。
そしてその後、時折襲う「胸にポケットがあったらポケットを開けて心臓をマッサージしたくなるような」ヘンテコな感覚に危険信号を察知し、
あるキッカケでまた飲み始めるまでの約2年間、あれだけ好きだった「お酒」も封印するのです。
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