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2015.11.18

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魚健ブログ  若旦那劇場 第7話

体内植込み型除細動器を入れるか否か、一晩中考えた。考えれば考える程分からなくなる。
何が良くて何が悪いのか。医師が言うように40歳以降に発作が起こるかもしれない、
発作が起これば親父のように助かるとは限らない。確かに1回目の親父のそれは、よく生き返ったと思うほど
長い時間心臓が止まっていたようだから・・・
しかし自分はまだ発作も起こっていない、起こってない以上病気でもない、起こるかどうかも分からない。
頭の中がグチャグチャになった。ただはっきりと言えたのは「まだ死にたくない、死ぬ訳にはいかない」これだけだ。
しばらくの間、私達夫婦は口を開けばこの話だった。暗くて重い空気が流れた。妻はこの時以来、白髪が一気に増えたと嘆く。
しかしこんな事で悩んでばかりもいられなかった。
私は結婚後第2の人生をスタートして以来、食を通して人の在り方や生き方に興味をもち今までの自分とは違う
「より自然に、より優しく」を好んだ。そしてこれからもそう望んだ。
この選択に「YES」の答えを出し「機械」を体内に入れることは、これを否定するように思えた。
そして何よりこの「機械」を入れるための検査の一つに心室細動を誘発するテストがあった。私は医師に尋ねた、
「そのテストで心臓は止まらないのですか、死なないのですか?」。かえってきた答えは「日本で3人の方が亡くなった」と・・
もちろん検査で死ぬのは稀であろうがそれは悔やんでも悔やみきれない。私はこの選択に「NO」という答えを出した。
私が出した答えには賛否両論あった。もちろん私を心配してくれての事ではあったが・・
特別な心電図であっても皆が起こるとは限らない、起こらない生き方をしようと思った、起こらないと自分に言い聞かせた。
そして徐々に徐々に普通の生活に戻っていった。戻っていきたかった。しかし「機械」を入れる手術をし退院した親父が
「もう大丈夫」と笑う姿に、私の心がまたしても揺れ動いていく。そしてまさかの・・・

2015.11.11

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魚健ブログ  若旦那劇場 第6話

それは若旦那31歳の冬の夜、夕食をすませ家族でゆっくりと過ごしていると
実家から「親父がまた発作で倒れた」と連絡が入り、すぐに病院へ向かった。
なんとか一命は取り留めたが入院して検査が必要なようだ。そして控室で待っていた私達兄弟に
「息子さん達もちょっと検査をして貰えませんか?」と言う医師の言葉。
私はその時妙な胸騒ぎがしたのを今でもはっきりと覚えている。私達は医師に言われるがまま検査を受けた。
検査後医師から親父の病名について説明があった。病名は「ブルガタ症候群」。耳にした事のない病名であった。
それもそのはず当時医学界でも研究中の病気という事で私達が知るはずもなかった。
私の覚えている範囲ではその特徴として「特異な心電図」を持つという。そして原因は未だ不明だが激しい
心室細動がおこり失神、心停止するという。それもほとんどが男性だとか・・・
そして次の医師の一言に先ほどの妙な胸騒ぎが的中した事を確信する。
「次男さんはお父さんと同じブルガタ症候群の特異な心電図をお持ちです、今まで失神されたりした事はないですか」と。
私は頭の中が真っ白になった。そして次の瞬間あることが頭をよぎった。
それは20代の頃何度か経験した事なのだが・・・
「仕事をしていると何とも言えない匂いが鼻をつき耳鳴りがはじまる。そして自分の意識が体から離れていきそうになる。
それを必死で戻そうとする自分」このことが何か関係があるのではなかろうかと。
ともかく医師に告げられた言葉が31歳の男の心に突き刺さる。しかしその一方でそれが分かっていたかのような自分がいる妙な気持でもあった。
家に帰った私は妻にその事を話す。そしてその後医師から聞いた唯一の予防法としての「体内植込み型除細動器」の植え込みの選択を一晩中話し合うのである・・・

2015.10.31

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魚健ブログ  若旦那劇場 第5話

さてさて何とかゴールインまで持ち込んだ若旦那、新居を建て、いや建てて貰い甘い甘い新婚生活と思いきや
自営業という事もあり、毎日の食事は山田家で全員揃ってというのがお決まりで、大の男4人に奥様方4人
そして子供たちとそれはそれは賑やかな生活でありました。
私達も3人の子供に恵まれましたが、子供を通して新しい出会いも増えました。
色々な人と出会い、語り、酒を酌み交わし少しずつ「世間知らずでボンボン」な若旦那の頭の中も雪解けしていきます。
ちょうどその頃私達はある方との出会いをきっかけに食べ物や生き方に対する考えが変わっていきます。
「より美味しく、より自然に、より優しく」という、今までのそれとはギャップが大きかったのですが
そこはバレンタインチョコ事件以来、「素早い立ち直りと思考の転換」を身につけていましたのでその道にまっしぐらに入っていきます。
行動力には自信のある若旦那、ごはんは玄米が良いと聞くや否や玄米菜食もどきにしてみたり、野菜はやっぱり無農薬とくれば
庭の芝生をむしり取り山から土を運んでは若旦那農場を作ったかと思えば、庭の菜園では物足りず近所の先輩の影響もあり
知り合いの畑をかりて春夏秋冬・四季折々の野菜を作った事も。また子供のおやつは手作りと思うと天然酵母のパンを焼いては
おやつや朝食にするこりようでした。「より美味しく、より自然に、より優しく」これが魚健の経営理念にもなっているのですがね。
もちろん物作りが仕事ですから自分たちの作る物にもこだわりを持ってと思い、
色々と提案するのですが、そこは商売なので自分の考えが100%通る訳もなく親父や兄貴と意見の対立もしばしば。
意見の通らないはがゆさを野菜やパン作りで紛らわしていたのかも知れません。
ただこの意見の食い違いが若旦那の心の中にある「独立心」にジリジリと火をつけていったのは間違いなさそうです。
そして若旦那、究極の選択をせまられる出来事がおこるのですが、それは親父が2度目の心臓発作で運ばれた病院での出来事。
若旦那31歳の冬の事です・・・

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