2016.01.24
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若旦那劇場 第15話
いやはや知人からの「まさかの連絡」に、自らの独立の場を求めていたとはいえ
また、「地魚の刺身定食」で魚の旨さは分かっていたにしても、その旨い魚の姿形さえまだ見ぬ状況の中、
見知らぬ土地に家を求めるという行動は回りからすれば到底理解できないことであったことでしょう。
若旦那本人も今回の行動は「極秘の戦略」と感じ、誰にも気づかれないよう一人和歌山を後にするのです。
時折鳴る携帯電話のベルに後ろめたさを感じながら・・・
「独立への期待」と「極秘の戦略に対する罪悪感」とに揺れる若旦那であったが、三たび降り立った豊北の
自然溢れる癒しの波動に心を決め、いざ契約に挑むのですが、田舎とはいえおよそ600坪の土地とその中に建つ
「御殿」を買う貯えなど無論あるはずもなく、とりあえずは少ない手付金だけで仮契約をさせて頂いたのであります。
仮契約を済ませ帰路についた若旦那は、山陰線の田舎列車の窓から見える綺麗な海を眺めながら、それまでのわくわく感
とは裏腹に「本当にこれで良かったのか」という戸惑いと、和歌山を捨ててしまうような裏切りにも似た淋しい気持ちで
一人列車に揺られたのでありました。
近い将来この山口県北浦の地で、「自らが描く思い通りの物作り」など本当に出来るのかと、
いつになく弱気な一面を覗かせながら・・・
2016.01.22
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若旦那日記 本日は講師です
平成28年1月20日
本日は下関市立阿川小学校に行ってきました。
今週は学校給食週間いう事で、いつも納品させてもらっている
「あじフライ」や「お魚メンチカツ」等、弊社の商品についてのお話の依頼がありましたので
私達が日ごろどんな思いで品物をつくり、おいしく召し上がって頂くためにどんな工夫をしているのかを
話しました。子供たちにうまく伝わったでしょうかね
2016.01.17
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若旦那劇場 第14話
とうとう社長である親父に「独立」の想いを告げてしまった若旦那であったが、
だからと言ってすぐに「独立への道」が開かれた訳ではなく、まずは第一歩を踏み出したにすぎず、
また、想いを告げられた親父としても「わがまま息子の一過性の想い」にすぎないと思っていた事であろう。
しかしこの一歩を踏み出すことで、事は大きく動き出すこともあるのが人生のおもしろいところかもしれない。
それが人生の中の「動」の時期に入っていたのなら、なおさらなのかも分からない・・・
若旦那は小さい頃よく「未来の自分」を想像することがあった。しかしいつも20代で終わってしまうのだ。
何回想像しても30代が想像できなかった。
そして実際にその30代を迎え、まず出迎えたのが「ブルガタ騒動」。なかなか波乱に満ちた30代の幕開けだった。
そういう意味では若旦那自身「動」の時期にあったのかもしれない。
社長である親父に「独立」の想いを伝えてどれくらいたった日の事だろうか、
私に「山口県旨い魚情報」を下さった知人から連絡が入った。この方とは10数年来のお付き合いであったが
私達が結婚して第2の人生をスタートさせる上で色々とお世話になり、また魚健の根底にある自然食の良さを教えてくれた方でもあった。
その日の電話に私の相棒が出たのだが、何やらいつになく驚いた様子で話をしていた。
そして電話を切った後、相棒から聞いた一言に私は耳を疑った。
それは「第1回旨い魚視察旅行」でも立ち寄らせて頂いたその知人の家を買いませんか?と言う話だった。
聞けばこの「豊北御殿」、実は別荘としてお持ちで余生をここで送られる計画だったとの事。しかし仕事の都合で無理になり
2年程前から売りに出していたのだが、どうやら家を見たいという人が現れたらしい。そして近々見に来られると。
しかし私達が一度訪れ、豊北町が気に入り、魚を求めて「2度目のツアー」に来たことも知り、
「もし仕事で使うのなら全く知らない人よりあなた達の方が」と言ってくれているというのだ。
さすがの若旦那もこれには動揺した。
家を買う・・・今現在、家はある・・
しかも遠く離れた縁もゆかりもない山口県の地に・・
こんな事がありえようか・・・
しかし同時にある思いが脳裏をよぎった。「ここなら出来るかも・・・」
独立したいと思ったものの同じ和歌山での独立は困難を極めていた。しかしこの山口県なら・・・
「旨い魚」があるのはあの「地魚の刺身定食」で分かっていた。
若旦那の心は揺れた、今まで味わったことのない心のざわめきに・・・
しかし気がつけばそこは新幹線の中だった。
そう、あの「豊北御殿」の売買契約のために三たび山口県に向かったのでありました。
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